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染めものや織もの、進んだ技術が伝わる
13 日本最古のベニバナ染め工房

ベニバナの花粉 (桜井市教育委員会)
纒向遺跡には、ベニバナを染料とする「染めもの」の工房があったようだ。
第61次調査で庄内3式期(3世紀前半)のV字溝の埋土からベニバナの花粉が見つかった。
これまでの発見例では、奈良県斑鳩町の「藤ノ木古墳」(6世紀後半築造の円墳)がもっとも古いといわれていたが、それより約300年も前、すでに纒向ではベニバナ染めが行われていた。
ベニバナの用途には染料や漢方薬・紅などがあるが、纒向遺跡のものはその花粉量の多さから溝に流された染織用の染料の廃液に含まれていたものと考えられています。
ベニバナはもともとアフリカ原産で、日本には自生はしていない。おそらく中国〜朝鮮半島を経由して、日本に伝わったとみられる。
大陸から染めもの職人が移ってきて、ここ纒向で工房を開いて、その技術を倭人に伝えた。
纒向遺跡の首長層が大陸系の高度な技術者集団を抱えていたことがうかがえる。
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14 絹製の巾着の小袋。魏に献上されたものか

絹の小袋 (桜井市教育委員会)
纒向遺跡では数少ない絹製品である。導水施設の水源である大井戸から出土した。
小袋の大きさは3.4cm、厚みは2.4cm。
奈良女子大学・中沢隆教授(生命有機科学)の研究チームの最近の調査で、この巾着状の絹製品は、日本に分布する野生の蛾(が)「ヤママユガ」の繭(まゆ)からとった絹糸製だとわかった。絹市のタンパク質のアミノ酸の並び方を分析して判明した。
ヤママユガは日本各地の産地に分布。「天蚕(てんさん)」と呼ばれ、、自然の森林にあるカシワやクヌギの葉を食べて黄緑色の繭を造る。
魏志倭人伝では邪馬台国が243年に中国・魏に「絹製品」を贈ったと記されている。
Lの上記のベニバナ染めに用いられた染料で、絹製品を染めた「纒向製の染め物」のことではないかという可能性も出てきた。
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15 金印が出れば、そこが邪馬台国か?
魏志倭人伝によれば、卑弥呼は魏の皇帝から「親魏倭王」の金印を授かった。
この金印が出た場所が邪馬台国のあったところという考え方もあるが、しかし、そうとも いえない。
もしも、畿内で発見されても、九州説をとる人は「本来は九州にあったものが、後生、畿内に移動した」というかもしれない。
それよりも「封泥」が大きな鍵を握っている。
魏使は、倭国の都である邪馬台国に品々をもって到着し、個々の荷物にはすべてヒモがかけられている。そのヒモの結び目に「封泥」がかけられ、そこに印が押されている。
そしてそれが開封されたところこそ、卑弥呼の宮殿でなくてはならない。
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