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立ち入り調査が決まった最古の前方後円墳「箸墓古墳」
卑弥呼が眠る?「箸墓古墳」と「伝承」

馬に乗る「鐙(あぶみ)」(桜井市教育委員会)
10 昼は人が造り、夜は神が造った
箸墓古墳は、全長およそ280m。後円部径は155m、前方部の直径は125m。
卑弥呼の墓ではないかという見方がある。
「魏志倭人伝」は卑弥呼の葬儀について次のように伝える。
「卑弥呼、以(もっ)て死す。大いに冢(つか)を作る。径百余歩なり、殉葬する者、奴婢百余なり」まさに女王の最後にふさわしい、スケールの大きな話である。
当初は、卑弥呼の年代よりも新しい時代の築造とみられていたが、2009年、国立民俗博物館が出土した有機物を放射性炭素年代測定法による方法で分析したところ、3世紀中〜後半に築造された可能性がでてきた。これば卑弥呼の時代と合致する。
日本書紀の崇神記には、木の墓を築くために「昼は人が造り、夜は神が造った」と書かれている。
陵墓に指定されているため立ち入ることができず、これまでは周辺の調査などをもとに研究が進められてきたが、今年、宮内庁が研究者の団体からの要望を受け、今回初めて調査を認めることになった。
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「大市」の文字がみえる土器片 (奈良県立橿原考古学研究所)
11 神とヤマト王権の結びつき「箸墓伝承」
この墓の主は、日本書紀に登場する孝霊(こうれい)天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)といわれている。「この姫さまこそが卑弥呼だ」という説もある。
物語では、三輪山の神=大物主(おおものぬし)の妻になった彼女は、夜だけやってくる夫に「あなたはいつも夜だけしか来ない。明朝にはお顔を見せてください」と頼む。
大物主は「わかった、朝にはあなたの櫛の箱に入っていることにしよう。ただ、驚かないでください」と約束する。
翌朝、姫は箱を開けると小さな蛇が入っていて、驚いて声を上げてしまう。
大物主は「あなたは約束を破った」といって、三輪山に帰ってしまった。
姫は嘆いて、箸でホトをついて自殺してしまい、この姫は「大市」に葬ったという記述がある。この「大市」こそが箸墓の地名であり、「大市」と書かれた土器片が箸墓古墳の周辺で発見されている。
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箸墓古墳の周濠部での発掘調査
12 纒向型前方後円古墳が全国に広がる
纒向遺跡にはじめて前方後円墳がつくられ、この新しい形の墓は、日本列島に広がっていく。それは、ヤマト政権が全国に覇権を拡大していく姿と大きく重なる。
なかでも、箸墓古墳は最初の大型古墳である。
纒向古墳群には全長90〜120mの前方後円墳が11基ある。
原型は纒向石塚古墳だが起源は西暦210年ごろ。女王・卑弥呼の登場とともに新しい政治体制、新しい祭祀の体制、そして新しい墳墓の形の登場となる。
弥生から古墳時代へ。時代は大きく変わるのである。
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